⭐Story of my life7~自由を獲得するために
こんにちは。
子育て夢育てのyumeikuです。
高校3年生になった私。
進路、どうしよう。(^^;
英語、好きだけど・・
海外留学とかしてみたいけど・・
家、大変だからなあ。
それに大好きな祖母は私を「先生」に
したいのだ。
でも、私は特になりたいわけじゃない。
それすら言えない雰囲気。
祖母の考えはこうだった。
学校の先生なら食いっぱぐれることはない。
昭和のあの戦争の最中に、様々な事情で
離婚して、それでも子どもを育てることが
できたのは、祖母が教師だったから。
私が高校生の時代、
女性は企業に就職してもほぼ結婚退職という
のがまだまだ一般的だった頃。
私の母は身体が弱く、ほぼ父だけの給料で
やりくりしてたため、母の口癖は
「お金がないわー」。
食材を買うのも、お値段を見ながら買い物
していたことを私は知っていた。
母には自分の好きなものに使える
経済的余裕も、ましてや自由もなかった。
そして、父は家のことはほとんどやらず
休みの日は1人で遊びに出かける。
母にはこんな言葉を。
「おまえは、何もできないから家のことを
やってればいい。」
(う~昭和あるある(*_*))
子ども心に、
「自分で充分に稼げない=不自由、バカにされる」
という図式が出来ていた。
片や祖母は学校の教員を続けながら、
女手ひとつで4人の子育てをし、
あの時代にも大学まで
出した強者。それではあきたらず、
退職すると生命保険の外交員で常に
営業成績もトップを続け、
お陰で私は家から離れた進学校で
下宿までさせてもらえたのだから。
それに祖母は自分の好きなこともしていた。
趣味に旅行、ファッションも楽しんでいた😄
それと、家族の中で発言権が一番強いのは
一番稼いでいた祖母だった。
だからこんな図式に。
「自分が充分に稼げる=自由、発言権が大きい」
そんな対照的な母と祖母を見て育った私。
「私は誰かに依存して生きるのは
絶対に絶対に嫌‼」
「自分で稼げる人になろう。
自立した大人になるんだ‼」
でも学校の先生はなりたくない。
ただ、小さい子どもは好き❤
なら、幼稚園の先生になろう🎵
きっと未来の自分の子育ての為にもなる。
てな訳で、保育科のある大学を受験することに
したのです。
家の事情も考慮して
4年なら公立、2年なら私立も
視野に入れた。
公立は滑ってしまったけど、
第一志望の短大に合格🈴😁
そうして、晴れて花の女子大生になるのです。
\(^^)/\(^^)/\(^^)/
☆ちるちるみちる愛満ちる
青い鳥はいつもあなたの中にいる☆
本日も最後までお読みくださり
ありがとうございました。